教育内容

授業now

聖学院の英語

聖学院で学ぶ英語

英語は、世界に数ある言語のうちの1つに過ぎません。従って、英語が出来るから特別な人間になるものでもありません。しかし、英語という言語は、現代社会の中において重要なコミュニケーションツールとして不動の地位を占めています。事実、英語が出来ると、基本的にどこの国にでも留学できますし、世界に散らばる友人とコミュニケーションが可能となります。以上のような認識を持ちつつ、英語を単なる受験勉強のツールとしてではなく、生徒たちの可能性を広げるツールとして、未知の世界への窓として学ぶ気持ちを持つことが大切です。

聖学院の英語学習過程

聖学院の英語科は英語学習を次の3つのステージに分けています。まず第1に、「英語と日本語の違いに気づく」ことです。これはどういうことかというと、英語と日本語では語順が違いますし、文法も違います。このような言語の発音や文法の違いに「気づく」ことを第1ステージの目標とします。中学での英語学習がこの期間にあたります。第2に、「英語で様々な情報をインプットする」ことです。ここのステージでは多読や音読やディクテーションに力を入れます。文法を一通り終えた段階でこのステージに入り、高校2年生の終わりまで続けます。最後に第3ステージは、「英語を使って自分の思いを発信する」ことです。ここでは高校2年生から始まるライティングの授業を中心に、文章を書き、発表し、ディベートをすることに力を入れます。

英語学習理論に基づく教育

さらに、聖学院の英語科は「英語学習」を包括的に捉えます。つまり、学習は授業内だけで完結するものではありません。放課後の学習や家庭での学習も立派な英語学習です。具体的には、授業は「記憶の定着を図る仕組み」を大切にします。特に多重知性理論に基づき、学習内容を読んだり、見たり、聞いたりと様々な側面からアプローチし、理解の促進と記憶の定着を図ります。さらに、英語科は構築主義の教育観を大切にし、生徒が実際に手を動かし、学ぶ課程を大切にします。また授業外では、「継続可能な自律学習の仕組み」を提案します。これについては、学年の始まりに宿題の目標や課題に取り組む意味をしっかりと理解させます。授業ノートや課題などを定期的に提出することで、生活のリズムをつくり、学校の授業と家庭学習が結びつくようになります。つまり、英語学習を成功させる鍵は学校と家庭での学習を大切にすることなのです。

聖学院の英語科が望むこと

最後に、聖学院の英語科は、「英語を現代社会の重要なコミュニケーションツール」と定義しています。繰り返しますが、英語能力は生徒たちを特別な人間にするものではありません。また、単なる大学受験の科目でもありません。英語は世界へとつながる扉のようなものです。英語を使えば世界中の人々とコミュニケーションをとることができます。私たち英語科の教員は聖学院の生徒たちが「Only One for Others」というキリスト教精神に立ち、英語という道具を使い、世界で活躍することを願っております。

聖学院の数学

(計算力+言葉力)×6年間 ⇒ 論理的思考力+知的持久力

数学を学ぶ上で身につけてほしい力。それは「論理的思考力」と「知的持久力」です。もちろん、難しい問題を解けるようになるのも大事ですが、それは数学教育の過程であって最終目標ではありません。中学でも高校でも、応用問題になればなるほど、すぐに答えは出てこないどころか、解法すらすぐに見えてこないこともあります。そこで重要になってくるのが「論理的思考力」と「知的持久力」なのです。
ここでの「論理的思考力」は「物事を捉える力」として考えてみるとわかりやすいかもしれません。これは、既知・未知を問わず、様々な対象を、自分の力と自分の言葉で、観察・整理・類推・体系化・帰納・演繹・抽象化・評価する力です。そして、観察と評価以外の能力は、数学が一番厳しく鍛えてくれるのです。「知的持久力」はまさに知的な持久力です。すぐに結果が出ない・見えないものに対しても、投げ出さず、時間をかけることを恐れず、物事に対して取り組む力です。
もう少し具体的な事柄として、中学や高校で数学を学ぶ上で重要な「計算力」と「言葉力」の二つを挙げます。意外に思えるかもしれませんが、「言葉力」は「計算力」以上に大事な力です。数学の勉強を、家を建てるということにたとえてみると、中学で学ぶ「計算力」は道具の使い方を学ぶことに似ています。となれば、やはり「計算力」を身につけるには、何度も繰り返し練習し、まさに体得していく必要があります。しかし、「計算力」だけで数学の力があるとは言えません。道具が使えるようになったから、家が建てられるようになった、とは言えないように、数学も「計算力」=「数学力」とはなりません。「言葉力」は、家を建てるときの、「設計」に似ているかもしれません。家全体の外観、部屋の配置、機能などを考えながら設計をするのと同じです。
中学数学で「計算力」をつけることは大きな目標ですが、そこだけを強調するのは危険です。「計算力」と「言葉力」は車の両輪のようなもので、どちらかがかけても走ることができないように、「計算力」を身につけさせながらも「言葉力」を意識させ、力もつけさせていく必要があるのです。これが試されるのが高校数学、特に「微分・積分」を学ぶ時でしょう。もちろん練習は必要です。しかし、ただやみくもに設計し始めないのと同じように、数学もやみくもに計算をし始めるのではなく、問題文を読み、何が条件で何をしなくてはいけないのかをまず考えなくてはなりません。ここで訓練される力がまさに「論理的思考力」と「知的持久力」なのです。応用問題になれば、問題文を一回読んだだけですぐに答えが出てくるような問題などありませんし、二回読んでもなかなか理解できないかもしれません。ここでも「言葉力」が試されます。解説を読むときも考えながら読まないと、理解することは難しいでしょう。解説を読むときも「論理的思考力」と「知的持久力」は必要なのです。これらの力は「計算力」とは異なり、量をこなせば力がつくというものではありません。授業の中で丁寧に、考えさせることをさせなければなりません。生徒に問いかけ、考えさせ、あきらめさせないように導いていく教師の力も問われます。

聖学院の国語 ~ 創造的思考への参与 ~

思春期から青年期に至る時間の中で、生徒たちは学業を修めながら人格を形成してゆきます。豊かな人格を形成するためには、豊かな言葉を獲得しなければなりません。人格も言葉もともに他者との関わりの中で後天的に鍛えられるものであるため、学習者を取り巻く環境の質が問われることとなります。多感な時期をすごす生徒たちが、さまざまな経験を重ね、それを将来の糧としてゆけるよう、わたしたち国語科教員は、テキストの読解や意見交換、スピーチ、討論、論述などさまざまな実践を通し、活発な言語活動空間を創出します。自分の発言が仲間に受け入れられ、発展したものになってゆくという過程の中には「創造的思考への参与」という本質があります。そのような経験をすべての生徒と共有すべく、日々の授業に取り組んでいます。
たとえば、読解力の育成に関して述べるならば、初歩的な段階では、それぞれの単語や文が文章全体の中で果たしている役割に着目させます。文章全体を大きな視野で俯瞰する視点を持った生徒たちは、難解な文章に対したときにも理解することをあきらめません。そして、徐々に、すぐれた評論や文学作品を提供し、内容の読解とともにそれが書かれた文化的背景、社会状況について考える機会をつくります。筆者が何を述べているのかを正確に読み解こうとする態度から導かれた解釈は、客観性を帯び、説得力のあるものに昇華されています。このレベルでの議論が展開される教室は、生徒たちを創造的な思考へ導く空間となり得ます。高校の最終段階においては、文章を批判的に読解するというハイレベルな思考にも挑戦します。筆者が何をどのように述べているのか、論証の仕方にも目を向けさせることで、鮮烈なワンフレーズに流されることのない、確かな論理的思考力を完成させます。
いずれ生徒たちはさまざまな分野へ飛び立ってゆきます。育まれた特性を生かし、創造的な働きをするためには、自分は何をなすべきなのかということを、他者とともに生きながら常に考えてゆかなければなりません。他者の言葉をしっかりと受け止め、自らの言葉を的確に伝えられる人は、創造的な活動を実践できる人となります。なぜなら、新しい発想は互いの異質性を認め合う関係性の中でこそ生まれるものだからです。他者とともに生きる精神とそれを実践する術を育て上げることが聖学院国語科の使命と考えます。

聖学院の理科

「知的好奇心の充足」から「自発的学び」へ

1963年に建設された本校の「理科館」は、他に例のない「模範的な理科設備」として全国から注目を集めました。2000年の新校舎建築の際、「理科館」は校舎内に取り込まれ、化学実験室と生物実験室の各2教室、物理実験室と講義室の合計6つの理科教室となりましたが、実験器具・機材に恵まれた環境を引き継いでいます。このような歴史をもつ聖学院の理科教育は、実験・観察を通して「知的好奇心」を育む実践を積み重ねてきました。中学校3年間で行なう実験・観察は、150種類におよびます。
6年間の教育の入り口は「知的好奇心」の芽を育てることを重視します。中学校では、例えばブタの眼球や内臓など、実物に触れる機会を設け、モノや現象に対する「なぜ?」をたくさん引き出します。「知的好奇心」は教員からの働きかけで自覚されるものもたくさんあります。例えば、日常の経験では「水は高いところから低いところへ流れる」ことが「常識」ですが、授業では、植物のからだの中で水は高さ数十mにも上っていくという逆の「事実」につきあたります。このような日常の「常識」と、授業で確認する「事実」のギャップが「なぜだろう?」という気持ちを生み出します。「なぜ?」の気持ちが強くなれば、「毛細管現象」「葉の蒸散作用」「細胞の浸透圧」などの学習はより興味深く行なわれることでしょう。聖学院では、「なぜ?」の気持ちを起こさせるしかけを作り、仮説を導き、実験・観察で科学的思考を育てていくカリキュラムを考えています。
6年間での最終的な目標は、21世紀の市民にふさわしい科学的リテラシーの習得と、自ら学び続ける「自発的な学び」の姿勢の習得です。社会的背景も考慮し、科学的な「思考力」に加えて「表現力」の育成も重視します。発達段階に応じた6年一貫の「実験レポート指導」や、夏休みの「自由研究」の事前事後指導で具体化していきます。実験・観察に主体的に取り組み、自分で考え、考えたことを他者に伝えることは本来「楽しい」営みです。「楽しい」ことは他者に強要されなくても自ら行なっていくはずです。「好奇心」と「自発的な学習」が螺旋のような構造となり、生徒たちが自分の力で螺旋を登って行くように励ましていくことが私たちの使命だと考えています。

聖学院の社会 ~共生社会を作り上げる人材育成をめざして~

聖学院社会科教育が目指すべきものは何か。それは共生社会を作り上げる人材の育成です。そのためには、世界的視野と正しい情報収集能力、世界中の人々と協調していく姿勢を身につけていくことが不可欠です。個々人に目を向ければ、自分は決して一人だけで生きていけるものではなく、他者とのつながりの中で存在しているというまぎれもない事実があるます。そのような中で、将来の大学受験を目指す量的授業だけでなく、未来を見据えた質的授業の展開を図っていかなければ、聖学院中高社会科が目指す人材の育成は成しえないと考えています。聖学院社会科ではこうした現状認識に立って、中高一貫教育を行っています。
たとえば、中学1年の地理では、まず世界地理、日本地理の基礎的知識を習得します。さらに世界の諸地域で起きている出来事を歴史的、経済的背景などのさまざまな観点を授業で提示し、思考力を育んでいきたいと考えています。こうした経験を積み重ねていくことによって、日本から遠く離れた場所で起こっている様々な出来事に対するグローバルな視点を養っていきます。またその出来事が世界や日本にどのような影響を与えるのか、日本はどのように行動すべきか、ということに対して、個々がそれぞれに考え、文章化していくトレーニングも生徒の状況に応じて行っていきます。『文章化』は思考を論理的に再構築することであり、この過程で自分自身の知識や見識を客観的に組み上げていくことでもあります。単に問題を解いて答えを引き出すことよりも複雑で、これを皆の前で発表することによって、個々の考え方や受け止め方の違いを共有化することにもつながっていくのです。
世界的視野を持つことは短時日にできることではありません。本校の中高一貫システムは、中学1年から高校Ⅲ年までの六年間の中でじっくりと育てていけるというメリットがあります。そのメリットを最大限に生かし、生徒とともに学び、議論し、ある時は賛同、ある時は批判的考察を加えていく経験を通じて、世界的な視野の醸成に役立てていきます。感性に頼るのではなく、基礎的知識の習得の上にその知識をどのように生かしていくのかという経験を授業や体験学習を通じて与えていくことが重要であることは言うまでもありません。
授業内容に関して如何に生徒諸君の興味を喚起するかということも忘れてはなりません。生徒諸君を惹きつける魅力を持った授業を行えるか否かは、我々教師の力量を推し量るバロメーターです。如何に生徒諸君に授業への興味を持ってもらえるか。聖学院社会科の授業は、こうした観点からも工夫を凝らしています。講義形式の授業だけでなく、映像やプレゼン形式、電子黒板などさまざまなアイテムを駆使した授業も行っていきます。また討論形式で他者の意見と自らの意見との合致や違いに気づき、さらに自らの意見を論理的に構築していく授業やこれらを文章化して自らの思考経路を鮮明にしていくことで論理性をさらに磨いていく授業も行っていきます。これらを通して、聖学院社会科の目標が達成されていいきます。
我々教師は生徒とともに学ぶ姿勢を忘れることなく、聖学院が目指すサーバントリーダーシップを発揮し、自らもよりよい授業構築のために精進を重ねていきます。こうした師弟ともに謙虚に学ぶ姿勢を譲成していくことも聖学院社会科の授業の特徴です。

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