命どぅ宝の家

この写真に写っているのは2つ。ひとつはカメラを片手に、モノを持っている自分の手。もう1つはこの鉄片であるが、この鉄は元はといえば米軍の残していった鉄砲玉の弾丸である。見ての通りだが自分の手よりも大きい……。ただでさえ自分の手は小さいけれど、それでも一般人の手の付け根から指先程度の大きさはある。
この弾丸。元々は島にある米軍関係施設の使用物である。米軍基地の半数以上が沖縄にある。現在、県民が基地に大反対をしているが、内心では基地利用者によって利益をもたらされている地域もあり、移転で基地がなくなることによって収益を失ってしまうことを危惧している一面もあると言われている。
今回、自分たちはこの写真を撮った『命どぅ宝の家』というところで基地反対派の1人と対談する機会を得た。「人を殺すための施設なんて日本にはいらない」、「基地なんてないほうが平和のため」というのが話の一部だが、これだけ聞けば「基地をなくせば防衛できない。」、「沖縄の歴史は他国から攻められた歴史じゃないのか?」といった意見が飛び交うのは当然である。地球上には少数ながら防衛施設がなく、戦争と関わりのない国も存在するらしい。しかし、それは本当に少数だし、大国と化した日本にそんなことができるとは到底思えない。
答えは存在しないし、意見に反論するのも大事。語り手は最後、反論する自分たちにこう言い残す。確かに先ほどの話はあくまでも理想である。今の世の中なら絶対実現しない話である。だが、忘れてはならない。実現しないのは今だけ。今後の未来なんて分からない。だからこそ……。戦争の語り手が次々と世の中から消えていく中、次を生きる自分たちには戦争経験者の理想に近い形でその思いを託されている。自分たちに今後できるのは、後に生まれてくる自分たちの子孫へ平和を受け継いでいくことである。だから、この話を聞いた後に思った。自分たちはそれを理想で終わらせないための努力をしなければならない。そんな使命感にも駆られる『命どぅ宝の家』だった。

Comments are closed.