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校長プロフィール

  • 角田 秀明(つのだ ひであき)
    埼玉大学教育学部(中学校課程)卒業後に1974年より聖学院中学校・高等学校の英語科に勤務。一時休職し、米国ワシントンD.C. ジョージタウン大学大学院応用言語学修士課程に入学、同大学院修士課程修了後は聖学院に復職。以来、高等部長を16年間、副校長を3年間務め、2016年3月に41年間在職した本学院を退職。その後は学校法人聖学院の理事を務め、2017年4月より第12代校長として着任。

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  1. 2020.03.18

    高校卒業式 式辞 3月14日(土)

    本日ここに聖学院高等学校第72回(聖学院第113回)の卒業式を挙行できますことを神に感謝したいと思います。また、卒業生諸君、保護者の皆様に心からお祝いを申し上げたいと思います。ご卒業おめでとうございます。

    今年は新型コロナウィルスの感染拡大防止の目的のために、例年とは違って、残念ながら在校生不在、ご来賓のご臨席もなく、時間も短縮した形で行うこととなりました。しかし、皆さんの6年間の本校での学院生活が一人一人の人格形成の糧となってきたことと信じます。

    さて、人間を評価する考え方に「機能論的人間観」と「存在論的人間観」というものがあります。これはその人の能力、学力、技術などすぐれた能力がある人を優れた人間として評価する考え方です。「あなたは何ができますか?」という問いに対してできるものが多ければ多いほど、優れた人間としての評価がついていきます。ある意味で分かりやすい考え方ですが、人間の価値を「できるか・できないか」だけで区別し、差別化してしまうことになります。人間の社会では、「機能的に有効かどうか」「テストの点数」「学歴」などある種のハードルを越えることができなければ社会的に不適格、不合格というレッテルを貼られ、生きる資格を剥奪されるような冷たい視線にさらされることになります。人は、比較の中で何か優位なものを持てるように頑張りながら生きることを強要させられることになります。能力があり、何かができ、何を持っている、ということで評価する価値観です。小学校から大学に至るまで、学校における生徒や学生に対する評価の仕方は極端なくらい「機能論的人間観」に傾斜しています。そして、社会もそれを是認し大人もその線に沿って人を見比べています。もちろん、技術があり、能力があるということは素晴らしいことであり、賞賛に値します。それ自体が問題ではないのです。ただ、すべてを機能的な評価だけを土台に人間を評価してはいけないのではないかと思うのです。

    「機能論的人間観」に対して、「存在論的人間観」というのがあります。考え方は文字通り、あなたがそこに生きているという存在そのものが尊いのだという考え方です。あなたという存在はこの世に二人とはいない独特な、かけがえのない貴重な存在なのだということを認め、存在そのものを喜び、いとおしむことがその土台になる考え方です。本校の教育理念Only One for Others はその意味を表しています。『わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)神が私たちの存在を丸抱えで愛し、喜んでくださっているという神の見方が根底にあるのです。

    この「存在論的人間観」に関しては、私の尊敬する関根一夫牧師の体験談をお伝えしたいと思います。この方は今、お茶の水クリスチャンセンターの牧師であり、カウンセラー、作詞家でもあります。この方は、40年以上前にオーストラリアの神学校に日本人として初めて留学し、入学の時には学長はじめ学生代表が名前を呼んで歓迎してくれたそうです。しかし、オリエンテーションにおけるIQテストでは、英語の問題の意味が分からず、結局その学校で始めてIQゼロという学生になってしまったのです。彼は「人に愛され、受け入れられるためには、何かができるとか人に見せるだけの何かを持っていなければダメなのだ」と堅く信じていました。間もなく、学長室に呼び出されました。軽蔑、侮辱、どなり声、退学処分、強制国外退去などを連想していたそうです。学長はおだやかな、ニコニコした顔をして椅子に座るよう指示し、次のように語ってくれたのです。「あなたがテストの結果で悩んでいるという話を聞いた。しかし、テストは誰かと比較するためにあるのではなく、自分がどの程度のところにいるのかを確認できればそれで良いのだ。もし、点数が悪かったら、それはあなたの準備が不十分だったということだ。その分野について自分のペースでしっかり準備をしていけばよい。きっとできるようになる日は来るのだ。私たちは、あなたが遠い日本からここにやってきて、一緒に勉強できることを本当に素晴らしいことだと思っている。あなたが一緒にいてくれるということで満足しているのだ。心配しないで、自分のできることをやりなさい。心配はいりません、」

    できる人には愛される資格があり、できない人間には愛される資格がないというのが彼のそれまでの体験的な人間論だったのです。しかし、こんなに大きく駄目な部分がある自分を、大好きだと言ってくれる人がいるという発見は彼に心の踊るような解放をもたらしてくれたのです。今まで、ありとあらゆることを優越感と劣等感の間で評価し、それを軸に自分を測ってきた狭い見方に気づかされたのでした。

    我が国では、小学校の上級生になる頃から、親が今までと違う見方で子供を評価し始めます。ここに、機能論的人間観が入り込んでくるわけです。「存在論的人間観」が「機能論的人間観」にとってかわられる時から、子供は競争社会に放り出され、安心して駄目な自分をさらけ出せる場所もなく、癒される場所もなく、がみがみやかましい、期待ばかりを押し付けられる結果、自己肯定感も下がって生きる意味が見つけられず、本来の「私」「自分」を生きることができず、深く心を閉ざしてしまうのではないでしょうか。

    皆さんの手元には今日この「存在論的人間観」に満ち溢れた、高3の学年通信 symphony が届けられると思います。学年の先生方からこの「素敵なメーッセージが綴られています。大切にして下さい。

    私たちは今日の聖書のことばを聴き続けることによって「生きるもの」となれるのだと思います。最後にもう一度聖書を読みます。

    【ヨハネの手紙1 4章9~12節】
    「神は独り子を世におつかわしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちの内に示されました。私たちが神を愛したのではなく神が私たちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をおつかわしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのように私たちを愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです。」

  2. 2020.02.28

    リフレクションで自分に問いかける言葉は?

    校長ブログ 2020.2.28. リフレクションで自分に問いかける言葉は? 昨日突然、安倍総理大臣から新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、全国の小学校、 中学校、高等学校、特別支援学校に対して来週3月2日(月)からの一斉臨時休業の要請が出 されました。驚きました。全国一斉の根拠については疑問が残りますが、聖学院小学校、女 子聖学院との合同の管理職の協議の結果、学校法人聖学院として、この要請を受けて臨時休 校とすることに決めました。 私たちは感染拡大防止目的のために出された25日の文科省の要請に応えるべく、すでに 学期末、学年末の多くの大切な行事やプログラムをやむなく中止或いは延期にせざるを得 ない辛い決断をしておりました。一つ一つのプログラムを楽しみに期待し、そのために沢山 の労力と時間を注ぎ込んできた沢山の人々の気持ちを考えると本当に残念で申し訳ない気 持ちにさせられます。しかし、生徒の健康と安全を第一と考え、感染拡大を防ぐことを目的 として幾つもの苦渋の決断をし、生徒・保護者・学校関係者にお知らせしてご理解をいただ いおります。 来週から迎える3月という月は、2019年度の締めくくりの時期に当たります。今回は新 型コロナウィルスの感染拡大予防のため臨時休校となり、家庭で過ごす時間が増えること と思います。生徒諸君は休校になったことを喜んで、ゲームに何時間も費やすのではなく、 一年間のリフレクションをし、 4月からの新年度に向けて今できることを見つけて果敢に取 り組んでもらいたいと思います。リフレクションと言えば、今思い出す言葉があります。米 国の黒人解放運動の指導者であった、M.ルーサー・キング牧師の次の言葉です。

    「人生で最も永続的で、しかも緊急の問いかけは『他の人のために、今あなたは何をしてい るか。』」

  3. 2020.02.10

    実を結ぶのは、あれか、これか、両方なのか、分からないのだから

    「朝種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれか それとも両方なのか、分からないのだから。」(コヘレトの言葉 11章6節)

    今から約200年前の出来事を紹介します。スコットランドの田舎の教会で、日曜礼拝が終わった後、教会の役員たちと牧師と話し合うために残っていました。役員会は牧師の辞任を希望していると言いました。彼らは牧師が年を取りすぎていて、職務を満足にはたすことができないでいると感じていました。彼らは自分たちの主張を裏付けるために厳しい質問をしました。
    「先生の在職中に、回心者が何人でましたか?」 牧師はすまなそうに答えました。「私の知っている限り一人だけです。それも少年です。」

    その後、何年か経過し、ロバートモファットという宣教師がアフリカのクルマン地方へ行って伝道し、その地の全部族をキリスト教に改宗させ、それのみか、その地のことばで聖書を翻訳し、神の言葉を手にできるようにまでしました。このアフリカの輝ける星となった偉大な宣教師こそ、かつて老牧師の唯一の実であった少年であったのです。
    さらに、ロバートモファットの娘がやがて結婚しましたが、その夫はリビングストンと言い、スコットランドの探検家、宣教師、医師であり、ヨーロッパ人で初めて、当時「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸を横断しました。第一次、二次、そして第三次アフリカ探検をし、また、現地の状況を詳細に報告し、アフリカでの奴隷解放へ向けて尽力した人物でもあります。

    「実を結ぶのは、あれか、これか、両方なのか、分からないのだから」
    結果が分からないから、今、やるべきことをしっかりとやろう、というのが、旧約聖書の信仰であり、人生の時間のとらえ方です。しかし、明らかなことは、どれかからは必ず実がなるということです。ですから、たとえ、途中で本当に実がなるか疑問に思う時があるかもしれないけれど、必ず、実がなると信じて、諦めることなく、自分の種を蒔き続けましょう。

  4. 2020.01.23

    OBのことばを聴く素敵なチャンス

    1月22日(水)の4時間目に、本校卒業生による特別講演会を行いました。

    この特別講演会は、社会に出て活躍している本校の卒業生から生徒に向けて是非伝えたいこと、社会に出てどんなことを考え、どのような困難に立ち向かい、それをどう乗り越えて今があるかを語ってもらい、在校生がそのお話から自分の将来について考えるヒントを頂きたいというのがこのプログラムの目的です。第1回目の2008年には読売新聞社長の老川祥一氏、また、2011年には今日現在8タイトル中3つのタイトル(棋聖、王将、棋王)をもっている将棋の渡辺明永世竜王にもお話いただいたことがあります。今回で12年目になります。

    今回お話いただいたのは、本校の61期生、山本廣光氏(71歳)です。この方は深海科学掘削船「ちきゅう」を建造し、かつ運用責任者でありました。彼はこれまでに石油掘削装置(リグ)を17隻建造し、総建造費は6000億円、運用費を含めると9000億円以上にのぼります。このようなリグをいくつも建造し、言語が異なる各国の技術者を統括して海底の石油掘削と各国のエネルギー供給に貢献してこられました。韓国、中国、ソ連、中東、アジア諸国の30ヶ国で33年間海外勤務をされ、15年間は文科省の海洋科学技術センターで勤務されました。

    この山本さんが、映像を交えた講演の最後に、生徒に次のようなことを伝えて下さいました。
    「自分が仕事を48年間して感じたことは次のことです。
    第1に、重要なことは英語等、外国語の能力。
    第2に、仕事は夢とプライドがなければ、一生同じ仕事を継続することは難しいと思いました。
    第3に、好きな仕事をして、無我夢中で頑張りました。
    第4に、問題が起きても決して諦めないことです。必ず良いアイディアが見つかりました。
    上記の4つを頑張れば、どんな夢でもかなうと思います。そして、海外で仕事をする若い人が多くなって貰いたいです。」

    山本氏のメッセージを聞いて、自分の将来の夢を広げた生徒もいたと思います。
    「人間にとって最も良いのは、飲み食いし 自分の労苦によって魂を満足させること。」(コヘレトの言葉 2章24節)

  5. 2020.01.08

    2019年度3学期始業式 メッセージ

    “「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が1アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
    (聖書 マタイによる福音書10章26~31節)

    新年おめでとうございます。2020年を皆さんと迎えることができました。嬉しいことです。2020年は東京オリンピックが行われます。7月24日~8月9日までの17日間です。皆さんも楽しみにしていることと思います。一方、競技に出場する選手は、日に日に期待と同時に不安や恐れで胸がいっぱいになっていることと推測します。

    さて、ちょうど2週間前は12月25日でクリスマスを迎えていました。思い起こすのは、クリスマスの場面で、ベツレヘムの野原で羊の番をしていた羊飼いたちに主の告げたのは「恐れるな。私は民全体に与えられる喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。」それに先立つマリアへの受胎告知でも「恐れるな」と告げられ、ヨセフもまた、天使から「恐れず、マリアを迎え入れなさい。」という天使からのみ告げを聞いたのでした。神の御子がこの世界のただ中に来て下さったのは、私たちから「恐れ」を取り除いて下さるためでした。

    しかし、私たちは依然として恐れの中に生きているのではないでしょうか。私たちの生きている具体的な生活の中には大きな恐れ、小さな恐れがあります。恐れに取り囲まれて生きている、それが実際の姿ではないでしょうか。

    わたしたちは人生で様々な困難に遭遇します。家庭内のこともあれば、学校でのこと、人間関係における辛くて嫌なこともあります。正に、青天の霹靂とでもいうべき病気がわかる場合もあれば、恐ろしい事故やトラブルに巻き込まれることもあります。それらに遭遇した時、当然、私たちはうろたえ、混乱し、パニックに陥りそうになります。その気持ちをだれかにぶつけないではいられないくらい苛立ち、爆発しそうになる。逆に落胆し、気持ちが塞ぎ、何もかも捨てて逃げ出したいような気持に駆られるでしょう。

    今の手にしている幸せがいつまで続くのかという不安がある。人から自分が受け入れられているのかと恐れることもあります。あるいは、将来どうなるのか、自分の進路はどうなるのか、そういう様々な恐れを持ちながら生きているのが、私たちではないかと思うのです。

    昨年12月17日に、白血病で入院していた水泳の池江璃花子選手がツイッターで次のように退院の報告をしました。
    「2月から入院生活をし、約10ヶ月の月日が経ち、この度、退院することができました。辛くて長い日々でしたが、皆様からの励ましのメッセージを見て、早く戻りたいと強く思うことができました。入院中、抗がん剤治療で吐き気が強い時や倦怠感もありましたが、そんな時はとにかく「大丈夫、大丈夫、いつか終わる」と自分を励まし続けました。
    オリンピックを目前に控えていた中、突然大好きなプールを離れ、失ったものが多いのではと思った方もいらっしゃると思いますが、私は病気になったからこそわかること、考えさせられること、学んだことが本当にたくさんありました。ネガティブ思考になる時もありましたが、まずは自分の気持ちをしっかり持たないといけないんだと思い、治療に励みました。オリンピックについてですが、2024年のパリ五輪出場、メダル獲得という目標で頑張っていきたいとおもいます。これからも応援よろしくお願いします。」

    池江選手は自分の身に起こった辛い出来事としっかりと向き合い、多くを学ぶことができたと捉えなおしています。自分の身に起こった苦難をいかにして解決するか、解決までいかなくても、いかに乗り越え、更に言うならば、解決も乗り越えもできないけれど、問題を抱えつつ、問題と一緒に、どう生きていけるかが重要だと思います。私たちが人生で思いがけないことに直面し、戸惑い、自分を失いそうになる時、問題を捉えなおし、私たちがなお前に向かって進んでいくうえで、今日読んだみ言葉は大変大事な視座を提供していると思います。

    冒頭の聖書に戻ります。「二羽の雀が1アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
    1アサリオンは当時の日当1デナリオンの16分の1の金額で二羽買えたぐらい、スズメは安かった。今の価値では500円くらいですから、一羽は250円になります。だが、その一羽さえ、神のお許しがなければ地に落ちることはない。神の支配下にある、あなたがたはスズメなどより遥かに神の目に尊く、神の子供とされているのだから。全知全能の神に信頼すればこの世の恐れから解放されるのです。

    「神がおられるなら、どうしてこんなことが」と問いが発せられます。しかし、そうではなく、「神がおられ、全てが神の摂理の下にあるのだから、なぜこういうことが私の身に起こることを神は許されるのだろう」と、普段のどの時よりも自分を後ろに引いてよく考えたいと思います。

  6. 2019.12.18

    The darkness has never put it out. (John 1:5)

    イエス・キリストのご降誕を待ち望む待降節「アドベント」第3週を迎えています。「アドベント」は「キリストの到来」を意味するラテン語です。つまり、人間世界へのキリストの降誕という意味です。教会では「私は世の光である。」とご自身を紹介されたイエスのご降誕を待ち望む気持ちを象徴して4本のロウソクに1週間に1本ずつ明かりを灯し、ご降誕を待ち望みます。

    今日はクリスマス礼拝・2学期終業式を行いました。「光は暗闇の中で輝いている。」(ヨハネによる福音書1章5節)の招詞から礼拝が始まり、吹奏楽部の「きよしこの夜」の賛美奉献がなされました。続いて、4名の宗教委員の生徒による聖書朗読がなされ、メッセージは本校の94回卒業生でもある三崎町教会の箕口雄介牧師が取り次いでくださいました。「あなたの人生に幸あれ!」と題して、「どんなことがあっても大丈夫、なぜなら、クリスマスの物語に語られているように、神様は小さくされた人、弱い人、悩んでいる人のところにこそ光として来てくださり、共にいて支えて下さると約束してくださっているから。」と語って下さいました。生徒も静かに耳を傾けていました。

    礼拝が終わってから2学期中に頂いた数々の表彰状の授与を行いました。こうして、全校生徒、教員が一つとなってクリスマス礼拝をもてたことを感謝するとともに、2019年の神の御支えと恵に感謝しました。

    「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」(ヨハネによる福音書1章5節 口語訳)

  7. 2019.12.03

    成長させてくださったのは神

    11月30日に高校3年生の保護者会に出させていただきました。この日に高3は6年間の本校の最後の授業を終え、保護者も本校での最後の保護者会となりました。聞くところによると、授業が終わると多くの生徒が教室や職員室で、お世話になった学年の先生や教科の先生にお礼の花束やお菓子を渡して回ったとのこと。(学年主任は泣きそうになっていました)

    この学年は教員のチームワークはもちろんのこと保護者間のまとまりが大変良く、生徒は安心して学習に取り組み、いろいろな経験を積み重ねて立派に成長してくれたと見ています。

    この学年の特色としては主に次の3点を挙げることができます。

    1. この学年の生徒は特にグローバル社会でしっかりと生き抜くための体験プログラムや異文化体験に積極的にチャレンジしてきました。例えば、タイ研修のワークショップ、アメリカ、オーストラリア、イギリスのホームスティ語学研修に参加した生徒が160人中121名、1年間の長期海外留学が10名、そして米国、台湾などの海外の大学進学希望者が9名おり現在出願手続きを進めているところです。

    2.生徒の自立学習を促すために、中学1年から自学自習ノートというものを始め、6年間継続してきました。後に続く学年もこの取り組みを引き継ぎ、本校の特色の一つとして定着してきています。

    3.生徒会の活動に力を入れる生徒が多く、生徒主導の高校体育祭や記念祭の立案から実行、そして事後の振り返りまで主体的に取り組み、後輩の指導もしっかりやれていた点です。そのことを通して、一人ひとりが男子として確実に成長してきた姿を見られることが嬉しくもあり誇りに思えることです。

    これから年が明けて大学の一般受験に臨むとき、毎朝の礼拝で聞いてきた聖書のことばと、背後で応援している保護者や教師、友達を思い出して本番の入学試験に臨んでもらいたいと思います。

    「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さったのは神です。」(コリントの信徒への手紙1 3章6節)

  8. 2019.11.16

    人の幸せ=縦と横の太い絆

    11月2日、4日の2日間、神の祝福のもとに、創立113周年記念祭をお祝いすることができました。昨年を大幅に上回った来場者がお出かけくださいました。その中には受験生やその保護者の方々も前年度を上回る人数の方々がご来場くださっていました。有難いことです。
    保護者の方々はだれもが「わが子には幸せな人生を歩んで欲しい」と願っておられると思います。人間は関係の中に生きており、神と人の縦の関係と人と人の横の関係、この関係が正しく、バランスがとれるところに人間の幸せがあると私は考えています。

    「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。(詩編1:1〜3)

    中学高校の6年間は、反抗期や思春期と呼ばれ、子供自身も、見守り支える親も難しい時期を迎えます。小学校高学年からは、点数をもらうだけでなく、順位づけられ偏差値で学力が測られるようになります。入試改革、英語4技能、不登校、など目に飛び込んでくる教育情報は、明るいものばかりではありません。
    しかし、本校では、どんな未来になろうとも、自信をもって生きていける力をつけさせてやりたいと願い、思春期の子供にはどんな経験をさせ、何を身に着けさせたらよいのかを専門の分野で4~5のプロジェクトを立ち上げて検討を進めています。本校の教育理念Only One for Others を土台として、生徒に必要な学びとは何か、大人になって社会で生きていくのに中学高校ではどのような準備をしたらよいのか、吟味しつつ、既に描いている「生徒の成長ストーリー」に追加、修正を加えつつ進化させているところです。
    先日、大学生になっている卒業生の保護者がおっしゃられていましたが、本校の6年間で、自分のやりたいことを思いっきり伸び伸びとやれたことがよかったと述べておられました。
    聖書には「父である神のみこころ」とか「神の業」という言葉がよく出てきますが、神がお望みになることとはまさに「すべての人の幸せ」であるのです。

  9. 2019.10.30

    時が来て、実を刈り取る

    10月15日から2週間をかけて、今週の月曜、高校3年生の指定校および公募制推薦大学入試希望者全員との面接を終えました。朝と放課後に38名の生徒から、大学や学部の志望理由と本校の6年間での学校生活を話してもらいました。そして、若干の質疑応答の時間を一人約20分ずつ持ちました。

    彼らから聞いた本校での思い出として挙げられた主なものは以下の通りでした。

    1. クラブ活動を高2まで5年間(部長あるいは副部長として)やり通した。(16名)
    2. タイ研修や語学研修プログラムに参加して大学でやりたいことが見えてきた。(7名)
    3. 尊敬できる先生と出会い、将来自分も教師になるか、或いはその分野の学びを更に大学で続けたいと思うようになった。(7名)
    4. 記念祭、体育祭、生徒会活動に全力で取り組んだ結果、仲間との絆が結べた。(7名)
    5. キリスト教の価値観に目を開かれ、どのような分野で働きたいかが明確になった。(5名)
    6. 留学や語学研修に参加したことで、更に大学で学びたい思いが湧いてきた。(4名)

    彼らが本校での学校生活を振り返った時、一人ひとりに違った出会いのチャンスがあり、彼らがそのチャンスを捕らえ、忍耐して課題に取り組み続けた結果、今日があり、未来に向けての光が見えてきたのだと嬉しく思いました。

    「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」(ガラテヤの信徒への手紙 6章9節)

  10. 2019.10.16

    出会い=「出て」行って、「会う」

    7月の期末考査後から始めた中学1年生保護者との面談が9月28日に終了しました。149名の在校生の保護者のうち、校長面談を希望して下さった61組の方々と面談をさせていただきました。約41%に当たる保護者と顔を合わせて「聞き合う」時間をもちました。

    本校を選んでくださった理由や経緯から入学後の学校のこと、授業のこと、クラブのこと、友達のこと、通学のこと、困っていること等をお話ししてくださり、私の方で気づいたことや経験をお話ししました。中学生になって時間の使い方が格段に進化したケースもあれば「できたことノート」(生徒手帳)の扱いに四苦八苦しているケースも伺いました。保護者が喜んでいることや悩んでいることは、適宜、担任の先生にも少しずつフィードバックするようにしています。

    この面談は私にとっては貴重な時間であり楽しい時でもあります。保護者の方々も、忙しい中で義務でもないのにわざわざ時間をとって学校に来てくださり、お話ししてくださるのですから文字通り「有難い」ことです。

    「出会い」という言葉がありますが、文字通り「出て」行って「会う」ことを意味します。つまり、出ていかなければ会うことも起きないということです。校長面談はある意味この「出会い」と言えると思います。双方が時間を割いて出かけて行って語り合い、聞き合う営み。そこに互いの心に目には見えない信頼関係が結ばれたと感じるのは私だけでしょうか。

    人生は出会いで決まるとよく言われます。 素晴らしい先生、よき友、そして一生を共にする伴侶など、素晴らしい出会いは私達の人生にとって宝であり、欠かす事の出来ないものです。生徒諸君がこれからの本校での学校生活の中で、「出て」行って「会う」貴重な体験に恵まれるよう祈りたいと思います。

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