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校長プロフィール

  • 角田 秀明(つのだ ひであき)
    埼玉大学教育学部(中学校課程)卒業後に1974年より聖学院中学校・高等学校の英語科に勤務。一時休職し、米国ワシントンD.C. ジョージタウン大学大学院応用言語学修士課程に入学、同大学院修士課程修了後は聖学院に復職。以来、高等部長を16年間、副校長を3年間務め、2016年3月に41年間在職した本学院を退職。その後は学校法人聖学院の理事を務め、2017年4月より第12代校長として着任。

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  1. 2020.07.02

    コロナとの「共存」の生活を模索しながら

    5月25日に緊急事態宣言が解除されてすでに1ヶ月以上経過しました。本校では4月13日から教員の作成したオンライン授業動画配信(これまでに900本)や学習アプリの導入を行いながら、6月1日から対面授業とオンライン学習の併用を続け、生徒の学びを止めない工夫を積み重ねてきました。一方で、都立高校はじめ都内の私立高校の多くは授業の遅れを取り戻すために6月29日から通常登校、全面学校再開に踏み切りました。

    しかし、都内の新たな感染者数は5日連続で50人を超える等、増加傾向にあります。この状況下で、朝の通勤時間の混雑度はコロナ以前に戻ってきており、感染のリスクは増していると言えるのではないでしょうか。

    上記のことを踏まえ、本校ではこの一学期は無理をせず、生徒と教職員の健康と安全を最優先し、7月6日~18日までの2週間は今と同じ隔日時差登校のもと、対面授業とオンライン学習の併用を続けながら、20日からの期末考査に向けて落ち着いて準備をしてもらう方法を選び取ろうとしています。保護者の皆様のご理解とご支援を引き続きお願いいたします。

    話は変わりますが、今日本で注目されているタイトル戦が行われているのをご存じでしょうか。将棋の藤井聡太七段(17)が渡辺明三冠(36=棋聖、棋王、王将)に挑戦する第91期ヒューリック杯棋聖戦です。五番勝負第2局が6月28日(金)、東京・千駄ヶ谷の将棋会館で指され、藤井七段が90手で勝利。2連勝とし、史上最年少でのタイトル獲得に王手をかけたのです。実は、対戦相手の渡辺明三冠は本校聖学院高校の2003年3月の卒業生です。中学3年時に史上4人目のプロの中学生棋士となり、高校卒業後、驚くべきことに、2004年12月に名人とともに将棋界の二大タイトルの一つである竜王位を弱冠20歳で獲得しています。そして、これまでに永世竜王、永世棋王のタイトルを含め3つのタイトルを持つ現代の最強の棋士と称されています。

    私としては、卒業生の渡辺明棋聖にタイトルを防衛してもらいたいという気持ちが強いのですが、天才高校生棋士の藤井聡太七段に最年少タイトル獲得の偉業を達成してもらいたいという期待もあり、第3戦を注目しています。両者にエールを送ります。

  2. 2020.06.17

    「立ち上がり、歩きなさい」

    東京都は、新型コロナウイルス感染拡大に警戒を呼びかける「東京アラート」を6月2日に発動し、11日に解除しました。12日午前0時から休業要請緩和の「ステップ3」に移行し、カラオケ店やパチンコ店、遊園地などの営業再開が可能となりました。そして、自粛から自衛に移るのだと小池都知事は記者会見で述べられました。

    以前とは違う新たな日常生活に徐々に戻っていくと思いますが、これまで、約3ヶ月間の外出自粛の環境に置かれて、たくさんの時間を与えられ、この環境の中で否応なく自分のあり方、生き方を考え、自分と周囲を幸せにすることまでも考えた人もいるでしょう。

    先週、全校礼拝で使徒言行録の3章の生まれつき足の不自由な男のお話をしました。彼は神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていました。彼はまるで物のように置かれていたのです。自分の意志で動くこともできずに、置かれていました。

    彼が自分の足で立てなかったというのは、実はとても象徴的な言い方であることがわかります。彼は、実際に足も不自由だったのですが、そのことによって彼は自分の力で人生を立ち上がって進んでいく力を、もうすでに失いかけていたのです。何の展望も見出せないまま日々を送っていたその人に、通りがかったペトロが次のように言いました。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」すると、その男は躍り上がって立ち、歩き出した、とあります。

    これは彼の足が実際に癒されただけではなく、彼が自分の人生を自分の力で立ち上がり、歩き出したことを意味していると思います。「立ち上がる」というギリシャ語は、座っている状態から立ち上がるという意味ばかりではなく、人が眠っている状態から「起き上がる」、あるいは死んでいる状態から「甦る」という意味をも表します。また「歩く」というギリシャ語は、「生活する」、「生きて行く」という意味でもあります。

    しかし、自分の足で立ち上がり、自分の力で歩き出すということはたいへんなことです。それまですべて周りの人に頼り切っていた人ですから、立ち上がればよろめくかもしれず、歩き出せば転ぶかもしれないからです。そんなたいへんな道を、自分の力で立ち上がり、自分の力で歩き始めたこの男に対して、ペトロはおそらく、こう言いたかったのではないでしょうか。

    「安心して歩き出しなさい。転ぶことを恐れてはならない。誰だって、失敗して転ぶことがあるんだから。でも、もしあなたが転んだ時は、私たちのところに来なさい。私たちはいつでもあなたを待っててあげるから」
    「立ち上がり、歩きなさい」

    この言葉は、この足の不自由な男だけでなく、今回のコロナ禍の中で諦めかけている人や希望を失いかけている人にも語られているのではないでしょうか。

  3. 2020.06.03

    生徒と会える喜び

    生徒が学校に帰ってきました!

    6月1日から分散登校が始まりました。一週目は中、高それぞれ1学年の各クラスを2分割して午前・午後グループに分かれて登校します。中学、高校の各昇降口には「顔面非接触体温計」を置いて、1秒で生徒の体温を確認できます。マスクをして登校してくる生徒に教員は挨拶して迎えます。生徒はやや緊張気味ですが久し振りの学校の感触を体感していた様子でした。

    全国一斉の学校休校要請から3ヶ月。緊急事態宣言による休校延長を挟み、ようやく今月から段階的ではありますが再開されました。第一週は、学内滞在を2時間以内とし、担任、クラスメンバーの顔合わせや感染拡大防止を目的とした「新しい生活様式」の説明、課題の提出等を行います。今後は、感染症対策と授業の両立を目指しつつ、生徒の心のケアも心掛けていきます。

    学校再開を前に、5月30日(土)、オンライン保護者会を行いました。これも初めての経験でしたが、全校保護者に向けてメッセージと本校の取り組んできている「オンライン授業」について約35分説明をいたしました。これから暫くは、学校の授業とオンライン授業を併用するハイブリッド教育形態を進めることをお知らせいたしました。保護者は中高合わせて863名ですが、今回のオンライン保護者会のライブ配信の視聴者は777名、5月31日(日)の録画は407名の方々が視聴してくださいました。お忙しい中にあって多くの保護者の方々が時間を合わせてご視聴下さり、大変有難く感じました。

    外出自粛要請の間、保護者の皆様のご家庭でのご苦労と忍耐は、私の想像をはるかに超えるものでありました。朝から晩まで顔を合わせる日々にイライラして、子供との関係が難しくなっているご家庭の報告を多く耳にしました。一方、この時間を有効に生かして自分の好きなことや新しいことにチャレンジして新たな自己発見につなげたという生徒もいるでしょう。色々あったとは思いますが、兎にも角にも今日まで健康も守られ、無事に歩んでこられたことを共に喜び、目に見えない神の御守りを感謝したいと思います。

    この新型コロナウィルスは、その大きさが100ナノメートル(1ミリの1万分の1)と言われている、肉眼では見えない正体不明のウィルスです。この非常に小さなウィルスがパンデミックを起こし、世界中を混乱させているわけです。感染症については撲滅は不可能なので、これからはウィルスとの『共生』『共存』を覚悟していかなければならないと専門家は言っています。一時的に収束しても、また第二波、第三波があるかもしれない。このことを頭において油断なく、感染拡大防止を心掛けながらこれからの新しい学校生活を進めてまいります。どうぞ、変わることのないご支援を賜りますようお願い申し上げます。

    「あらゆる困難や、疑いや、障害にもかかわらず、神に信頼しましょう。神は決してあなたを裏切りません。ある願いをかなえて下さらないときは、神が、そのことをお望みではないというしるしです。もし神が、あなたにそれをしてほしいとお望みなら、その手段を与えてくださるでしょう。ですから、何も心配することはないのです。」(マザーテレサ)

  4. 2020.05.18

    新型コロナとの闘い(Part 3)

    新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐための緊急事態宣言が4月7日に発出され、学校が休校となってから6週間が経ちました。私たち教職員は感染拡大を防止するため、在宅勤務の形態を基本とし、授業動画作成、生徒諸君からの質問への応答、課題の回収確認などに取り組んでいます。今日からはオンライン授業の重点を In put から Out put に比重を移すと共に、双方向の授業にも挑戦していきます。

    先週一週間は新たな感染者数が連続して40名を下回ったと報告されており、確実に減少していることが数字に表れています。学校では、6月から学校が再開できる状態になった場合、どのような形で学校での教育活動を再開すべきか、現在検討しています。この時期に大切なことは、学校が再開される時を思い描きながら、期待しつつ、今できることに取り組んでいくことではないでしょうか。

    多くの生徒諸君は毎朝配信される礼拝を視聴していると思います。今は外出自粛に務められている時ですから、中には保護者やご家族でご一緒に視聴されている方々もおられるかと思います。短い礼拝ですが、先生方を通して伝えられるメッセージから、新たな力や励ましを与えることが出来ていれば幸いです。

    今朝、礼拝で次の聖書を引用しました。この言葉は、これまでに試練の只中にあった幾多の人々を励ますとともに、その人々に新しい希望を与えてきたことでしょう。

    「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れの道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙一 10章13節)

    この聖書の言葉は、昨年、フィギュアスケートの羽生結弦選手や女子競泳日本代表の池江璃花子選手もインタビューの中で使っていました。聖書の言葉ですが、全世界でよく知られており、その言葉に支えられています。

    また、X JAPAN の YOSHIKI さんが、新型コロナウィルスで多くの人々が苦しんでいる状況に寄り添い、米ロサンゼルスから日本に緊急メッセージを伝えたそうです。メッセージでは「暗闇は暗ければ暗いほど、小さな光だって輝いて見える」「神は耐えられない試練を人には与えない」など、聖書のことばを引用しつつ、協力して現在の状況を乗り越えていこうと呼びかけていました。ちなみに、YOSHIKI さんと Toshi さんは二人とも私の千葉県立安房高校の後輩なのです。ビックリしましたか?

    更に、この外出自粛要請の中、本校の卒業生である俳優の志尊淳さんとミュージシャンの宮崎歩さんが、「きぼうのあしおと」という曲を制作してくださいました。歌詞には「たとえ今が試される時間でも負けない」「会えるその時まで準備しよう 焦らないで 時は来る 耳を澄まそう きぼうのあしおと」など、この期間を過ごす人へ歌にのせて気持ちを伝えています。YouTube 等でお聞きになって下さい。この試練の中にあって、とても元気づけられます。

    それでは、お互い、再び会える日を楽しみに待ちましょう。

  5. 2020.05.01

    新型コロナとの闘い(Part 2)

    4月7日の政府の「緊急事態宣言」の発令から3週間が経過しました。発令時では5月6日までを当面の休校期限としていましたが、日々感染者が増加している現状を考慮し、学校法人聖学院は駒込キャンパスの幼稚園~中高の全校を5月末まで休校延長することと致しました。生徒・保護者の皆様には4月28日にその旨お知らせをしたところです。

    本校では、4月13日から毎週100本、今週まで300本の授業動画を作成し、生徒が家庭で視聴できる体制を構築してまいりました。5月連休明けからは更にコンテンツの改良に取り組み、生徒からのレスポンスを受けながら、自学自習力、思考力の向上に繋がるプログラムを目指してまいります。

    さて、私も可能な限りStay home をまもり、感染のリスクを避けるよう努力しています。先日NHKでも放送されたばかりですが、本校の卒業生神田松之丞がめでたいことに今年2月、6代目神田伯山を襲名しました。彼は「今もっともチケットの取れない講談師」と評価されている人気の高いプロフェッショナルです。今のコロナ禍の状況ではYouTube で彼の講談を楽しむことが可能です。一度、視聴してみませんか。

    この期間はまた、いつもより読書が出来る時間が与えられています。私も、この期間何冊か本を読みましたが、コロナ禍にあるこの時期に、何故かもう一度ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」を読んでみたいと思いました。アウシュビッツ強制収容所という極限状況に置かれた人間がいかにして人間であり続けられたのか?あらゆる励ましの言葉や、慰めを拒絶して、「私はもはや人生から期待すべきものは持っていないのだ。」という口の利き方をする人に何と答えたらよいのか。

    フランクルは、問いの観点変更が必要だと言っています。つまり、人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題ではなく、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題だと言うのです。われわれが人生の意味を問うのではなく、われわれ自身が問われた者として体験されるという観点変更が必要だというのです。

    聖書のコリントの信徒への手紙一 8章3節に次のような不思議な言葉があります。
    「神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。」

    自分が人を見る見方ではなく、神が人を見る見方でその人を見ること。神がその人を見ておられるように、神の眼差しでその人を見ることを学ぶことが求められているのでしょう。特に、教師や親はこの視点で生徒・子供を見ることが大切なのではないでしょうか。

  6. 2020.04.13

    新型コロナウィルスとの闘い

    新型コロナウィルス対策のために学校の休校が続いています。3月2日(月)から4月5日(日)まで臨時休校、4月6日(月)は中学、高校の入学式を縮小して無事行うことができましたが、「緊急事態宣言」の発令により、再び臨時休校に入りました。

    本校では、急遽、ICT委員に動画作成の技術面を担ってもらいながら、全教員がそれぞれの教科の授業動画の作成に取り組み、結果として、10日(土)までに生徒が家庭で視聴できる授業動画を約100本準備できました。そして、今日4月13日(月)から、中1~高3まで授業配信を開始できました。これまで時間と労力を注いできたことが形となって実を結んだことを感謝しています。あとは、生徒がしっかりと視聴し学んでくれることを期待しています。

    さて、今回のコロナウィルスに関連して調べたことを紹介します。まず、コロナの名称ですが、電子顕微鏡で観察されるコロナウィルスは、直径約100 nm(ナノメートル)の球形で、表面に突起が見られ、形態が王冠 “crown” に似ていることからギリシャ語で王冠を意味する “corona” という名前が付けられたそうです。

    疫病といえば、14世紀の中頃、アジアからヨーロッパ全土を襲った黒死病(ペスト)は、ヨーロッパの全人口の4分の1から3分の1を死に至らしめたと言われています。その後も散発的に流行を繰り返し、1527年の夏、マルティン・ルターがいたヴィッテンベルクをも襲いました。時のザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒはルターたちに避難を命じますが、ルターはこれを拒否して町の病人や教会員たちをケアするために残ったそうです。その時、彼は自分がどんなことに気を付けているかを綴っています。その内容が今回の感染症対策専門委員会から出されている注意事項と大変類似しているのに気づきました。

    「私はまず神がお守りくださるようにと祈る。そうして後、私は消毒をし、空気を入れ替え、薬を用意し、それを用いる。行く必要のない場所や人を避けて、自ら感染したり他者に移したりしないようにする。私の不注意で、彼らの死を招かないためである…。しかし、もし隣人が私を必要とするならば、私はどの場所も人も避けることなく、喜んで赴く。」

    現在、すでに『封じ込め』では対応しきれない崩壊が世界で進みつつあります。医療システムの崩壊、経済システムの崩壊、そして人々のメンタル面の崩壊です。このような厳しい状況の中にありますが、ルターのように、まず、家に留まり、神に祈り、自分がなすべきことをしっかりと行っていきましょう。外出を控えて自宅でできることを見つけましょう。このような時こそ、今まで読もうと思って読めていない本を読むのもいいのではないでしょうか。

    『目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。』(詩編121編 1~2節)
    『あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。』(ヨハネの福音書14章1節)

  7. 2020.04.02

    中学卒業式 式辞 3月18日(金)

    皆さんは中学入学当時の意気込みや目標は、この3年間の間でどれ程実現できたでしょうか。振り返ってみればある人は充実した悔いのない有意義な3年間であったと評価できるでしょう。ある人は今になってこういう点について、こうすればよかったのにと残念がっているかもしれません。過去3年間について、皆さんがどう評価しているかは私にはわかりませんが、肯定的な評価をする人、否定的な評価をする人のいずれの人に対しても、同じことを申し上げたいと思うのです。

    すなわち、過去は必ずしも将来を決定的に左右するとは限らないということを申し上げたいのです。
    自分を振り返ってよくやってきた、充実した生活を送ったと思っている人も、もし自己満足してそこに止まっているのであれば、それまでの良い努力や成果もゼロになってしまうでしょう。反対に、今になって後悔することが多く、挫折を覚えている人でも、もし、失敗と思われるような経験から学ぶべきものを学び取って、そこを乗り越える切っ掛けにしていけば、失敗と思われた過去も有益なものになるのであります。つまり、自分の過去について、「成功であった」とか「失敗であった」とかの評価それ自体が大切なのではないのです。大切なのは、今までの経験を将来のために良き教訓として生かすかどうかなのであります。

    皆さんは、どなたも幸せな人生を送りたいと願っているでしょう。私たち、教職員も皆さんの幸福を願ってやみません。フローレンス・シンというアメリカ人の心理学者がいます。この人は、人間の切実な願望について、また、幸せな人生を送るために必要かつ十分な条件について研究を重ねてきた学者です。彼女の名言に次のような言葉があります。

    あなたは、自分が与えたものしか 受け取ることは出来ません。
    人生のゲームは、 ブーメランのようなものです。
    あなたの考えや行動、そして言葉は、
    やがて驚くほど正確に 自分に戻ってきます。

    シン博士が言うのに、幸福を構成するすべての要素は、そのあらわれ方は多様であっても、結局、四つの範疇に集約できるということです。第一は物質的な富、第二に健康、第三に人間関係における愛情、第四に自己表現ないしコミュニケーションだと言います。今日は時間の関係もあるので、第三の人間関係における愛情に焦点を当ててみたいと思います。他人に愛され、他人を愛するという人間関係は、やはり、人が幸せになるのに不可欠です。私たちにいくら富があっても、いくら健康であっても、他人に愛され、他人を愛することができないならば、幸せであるとは言えないし、幸福感もないでしょう。聖書で言われている愛とは、同情や甘えと言った単なく感情なのではなく、相手の成長と幸福のために役立とうとする態度であります。

    米 国の黒人奴隷解放運動の指導者であった、M.ルーサー・キング牧師が次のような言葉を残しています。「人生で最も永続的で、しかも緊急の問いかけは『他の人のために、今あなたは何をしているか。』」

    どうか、卒業生の皆さんは、今までの親子関係、師弟関係、友人関係において学んだものを活かしていただきたいのです。そして、このキング牧師の問いかけに応えつつ、これからの人間関係を愛に根差したものにして、益々幸せになっていただきたいと願っています。本校の教育モットーである、Only One for Others 他者のために生きる人を意識して間もなく迎える高校生活にそなえていただきたいと思います。

    「神は独り子を世におつかわしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちの内に示されました。私たちが神を愛したのではなく神が私たちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をおつかわしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのように私たちを愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです。」(ヨハネの手紙1 4章9~12節

  8. 2020.03.18

    高校卒業式 式辞 3月14日(土)

    本日ここに聖学院高等学校第72回(聖学院第113回)の卒業式を挙行できますことを神に感謝したいと思います。また、卒業生諸君、保護者の皆様に心からお祝いを申し上げたいと思います。ご卒業おめでとうございます。

    今年は新型コロナウィルスの感染拡大防止の目的のために、例年とは違って、残念ながら在校生不在、ご来賓のご臨席もなく、時間も短縮した形で行うこととなりました。しかし、皆さんの6年間の本校での学院生活が一人一人の人格形成の糧となってきたことと信じます。

    さて、人間を評価する考え方に「機能論的人間観」と「存在論的人間観」というものがあります。これはその人の能力、学力、技術などすぐれた能力がある人を優れた人間として評価する考え方です。「あなたは何ができますか?」という問いに対してできるものが多ければ多いほど、優れた人間としての評価がついていきます。ある意味で分かりやすい考え方ですが、人間の価値を「できるか・できないか」だけで区別し、差別化してしまうことになります。人間の社会では、「機能的に有効かどうか」「テストの点数」「学歴」などある種のハードルを越えることができなければ社会的に不適格、不合格というレッテルを貼られ、生きる資格を剥奪されるような冷たい視線にさらされることになります。人は、比較の中で何か優位なものを持てるように頑張りながら生きることを強要させられることになります。能力があり、何かができ、何を持っている、ということで評価する価値観です。小学校から大学に至るまで、学校における生徒や学生に対する評価の仕方は極端なくらい「機能論的人間観」に傾斜しています。そして、社会もそれを是認し大人もその線に沿って人を見比べています。もちろん、技術があり、能力があるということは素晴らしいことであり、賞賛に値します。それ自体が問題ではないのです。ただ、すべてを機能的な評価だけを土台に人間を評価してはいけないのではないかと思うのです。

    「機能論的人間観」に対して、「存在論的人間観」というのがあります。考え方は文字通り、あなたがそこに生きているという存在そのものが尊いのだという考え方です。あなたという存在はこの世に二人とはいない独特な、かけがえのない貴重な存在なのだということを認め、存在そのものを喜び、いとおしむことがその土台になる考え方です。本校の教育理念Only One for Others はその意味を表しています。『わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)神が私たちの存在を丸抱えで愛し、喜んでくださっているという神の見方が根底にあるのです。

    この「存在論的人間観」に関しては、私の尊敬する関根一夫牧師の体験談をお伝えしたいと思います。この方は今、お茶の水クリスチャンセンターの牧師であり、カウンセラー、作詞家でもあります。この方は、40年以上前にオーストラリアの神学校に日本人として初めて留学し、入学の時には学長はじめ学生代表が名前を呼んで歓迎してくれたそうです。しかし、オリエンテーションにおけるIQテストでは、英語の問題の意味が分からず、結局その学校で始めてIQゼロという学生になってしまったのです。彼は「人に愛され、受け入れられるためには、何かができるとか人に見せるだけの何かを持っていなければダメなのだ」と堅く信じていました。間もなく、学長室に呼び出されました。軽蔑、侮辱、どなり声、退学処分、強制国外退去などを連想していたそうです。学長はおだやかな、ニコニコした顔をして椅子に座るよう指示し、次のように語ってくれたのです。「あなたがテストの結果で悩んでいるという話を聞いた。しかし、テストは誰かと比較するためにあるのではなく、自分がどの程度のところにいるのかを確認できればそれで良いのだ。もし、点数が悪かったら、それはあなたの準備が不十分だったということだ。その分野について自分のペースでしっかり準備をしていけばよい。きっとできるようになる日は来るのだ。私たちは、あなたが遠い日本からここにやってきて、一緒に勉強できることを本当に素晴らしいことだと思っている。あなたが一緒にいてくれるということで満足しているのだ。心配しないで、自分のできることをやりなさい。心配はいりません、」

    できる人には愛される資格があり、できない人間には愛される資格がないというのが彼のそれまでの体験的な人間論だったのです。しかし、こんなに大きく駄目な部分がある自分を、大好きだと言ってくれる人がいるという発見は彼に心の踊るような解放をもたらしてくれたのです。今まで、ありとあらゆることを優越感と劣等感の間で評価し、それを軸に自分を測ってきた狭い見方に気づかされたのでした。

    我が国では、小学校の上級生になる頃から、親が今までと違う見方で子供を評価し始めます。ここに、機能論的人間観が入り込んでくるわけです。「存在論的人間観」が「機能論的人間観」にとってかわられる時から、子供は競争社会に放り出され、安心して駄目な自分をさらけ出せる場所もなく、癒される場所もなく、がみがみやかましい、期待ばかりを押し付けられる結果、自己肯定感も下がって生きる意味が見つけられず、本来の「私」「自分」を生きることができず、深く心を閉ざしてしまうのではないでしょうか。

    皆さんの手元には今日この「存在論的人間観」に満ち溢れた、高3の学年通信 symphony が届けられると思います。学年の先生方からこの「素敵なメーッセージが綴られています。大切にして下さい。

    私たちは今日の聖書のことばを聴き続けることによって「生きるもの」となれるのだと思います。最後にもう一度聖書を読みます。

    【ヨハネの手紙1 4章9~12節】
    「神は独り子を世におつかわしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちの内に示されました。私たちが神を愛したのではなく神が私たちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をおつかわしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのように私たちを愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです。」

  9. 2020.02.28

    リフレクションで自分に問いかける言葉は?

    校長ブログ 2020.2.28. リフレクションで自分に問いかける言葉は? 昨日突然、安倍総理大臣から新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、全国の小学校、 中学校、高等学校、特別支援学校に対して来週3月2日(月)からの一斉臨時休業の要請が出 されました。驚きました。全国一斉の根拠については疑問が残りますが、聖学院小学校、女 子聖学院との合同の管理職の協議の結果、学校法人聖学院として、この要請を受けて臨時休 校とすることに決めました。 私たちは感染拡大防止目的のために出された25日の文科省の要請に応えるべく、すでに 学期末、学年末の多くの大切な行事やプログラムをやむなく中止或いは延期にせざるを得 ない辛い決断をしておりました。一つ一つのプログラムを楽しみに期待し、そのために沢山 の労力と時間を注ぎ込んできた沢山の人々の気持ちを考えると本当に残念で申し訳ない気 持ちにさせられます。しかし、生徒の健康と安全を第一と考え、感染拡大を防ぐことを目的 として幾つもの苦渋の決断をし、生徒・保護者・学校関係者にお知らせしてご理解をいただ いおります。 来週から迎える3月という月は、2019年度の締めくくりの時期に当たります。今回は新 型コロナウィルスの感染拡大予防のため臨時休校となり、家庭で過ごす時間が増えること と思います。生徒諸君は休校になったことを喜んで、ゲームに何時間も費やすのではなく、 一年間のリフレクションをし、 4月からの新年度に向けて今できることを見つけて果敢に取 り組んでもらいたいと思います。リフレクションと言えば、今思い出す言葉があります。米 国の黒人解放運動の指導者であった、M.ルーサー・キング牧師の次の言葉です。

    「人生で最も永続的で、しかも緊急の問いかけは『他の人のために、今あなたは何をしてい るか。』」

  10. 2020.02.10

    実を結ぶのは、あれか、これか、両方なのか、分からないのだから

    「朝種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれか それとも両方なのか、分からないのだから。」(コヘレトの言葉 11章6節)

    今から約200年前の出来事を紹介します。スコットランドの田舎の教会で、日曜礼拝が終わった後、教会の役員たちと牧師と話し合うために残っていました。役員会は牧師の辞任を希望していると言いました。彼らは牧師が年を取りすぎていて、職務を満足にはたすことができないでいると感じていました。彼らは自分たちの主張を裏付けるために厳しい質問をしました。
    「先生の在職中に、回心者が何人でましたか?」 牧師はすまなそうに答えました。「私の知っている限り一人だけです。それも少年です。」

    その後、何年か経過し、ロバートモファットという宣教師がアフリカのクルマン地方へ行って伝道し、その地の全部族をキリスト教に改宗させ、それのみか、その地のことばで聖書を翻訳し、神の言葉を手にできるようにまでしました。このアフリカの輝ける星となった偉大な宣教師こそ、かつて老牧師の唯一の実であった少年であったのです。
    さらに、ロバートモファットの娘がやがて結婚しましたが、その夫はリビングストンと言い、スコットランドの探検家、宣教師、医師であり、ヨーロッパ人で初めて、当時「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸を横断しました。第一次、二次、そして第三次アフリカ探検をし、また、現地の状況を詳細に報告し、アフリカでの奴隷解放へ向けて尽力した人物でもあります。

    「実を結ぶのは、あれか、これか、両方なのか、分からないのだから」
    結果が分からないから、今、やるべきことをしっかりとやろう、というのが、旧約聖書の信仰であり、人生の時間のとらえ方です。しかし、明らかなことは、どれかからは必ず実がなるということです。ですから、たとえ、途中で本当に実がなるか疑問に思う時があるかもしれないけれど、必ず、実がなると信じて、諦めることなく、自分の種を蒔き続けましょう。

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